(「お暮らし」)
6月14日、今日は私の誕生日でゴザイマス。
なので今日は誕生日の思い出を、お話したいと思います。
「お誕生日会」・・・最近の子供達もやっているんでしょうか?
私は高円寺に住んでいる頃に何度かやってもらいました。
自分の誕生日には お友達を呼んで・・・お友達の誕生日には自分も呼ばれて・・・
プレゼントされたり、プレゼントしたり・・・。
こんな調子の私でも「かわいい思い出」持っております。(笑)
でもその頃、一つだけ不思議に思ったコトがありました。
バースデーケーキ
お友達の、お誕生日会で食べるケーキはクリームの色が、まっ白なのに
なんで自分の時は少し黄色いんだろう?・・・て、思ってました(笑)
私は趣味でお菓子を作るなんて事は全然しないので、その理由が分かったのは、
上京して自活をし、買い物をする機会も増えてからの事だったと思います。
黄色いクリームの正体は「バタークリーム」でしたね・・・。
まっ白い生クリームのケーキより、少しお値段 お安めです。(笑)
「そっかぁ~・・・」分かった時は、そんな感じでした。
その当時は借家住まいで、ゆとりなどあるはずもなく。
父と母で、ほそぼそとクリーニング屋を営んで暮らしを立てていました。
私の両親は、二人とも高知の人間です。
父は中学卒業後、東京で働いてました。
母は、そんな父との見合い結婚を機に高知から上京しました。
それまでは「お誕生日会」などと言うような洒落た暮らしとは
無縁の人間だったはずです。
あの頃は「お誕生日会」など開く余裕は、なかったはずです。
でも、自分の娘も人様に招かれて、ご馳走にもなって来る。
自分の娘にも、他の友達と同じようにしてあげよう。
そんな気持ちで「お誕生日会」をしてくれたんだと思います。
ところが、いつの時代も、時にして子供と言うのは残酷なモノで・・・。
そんな母の苦労など何処吹く風のワタシ・・・。
「遠慮?ナニソレ?」そんな感じです。
あの狭い家に友達を10人呼びましたよ・・・10人デスヨ!
母は、その10人の為に「バタークリームのケーキ」の他に、
のり巻き作って、おいなりさん作って、サンドイッチ作って、
から揚げみたいなモノもあったかな? デザートも作ってましたね。
お菓子とジュースも用意して・・・なんせ10人ですから。
(まだ続きがありますヨ・・・)
何処のお宅から始まったのか分かりませんが、もらった誕生日プレゼントに対して
「お返し(メモ帳と鉛筆、程度の)」なるモノまで出現し・・・。
「鬼と化した、こまつ しのぶさん」
母に止めの一撃「おかあさん、お返しがいるぅ~!」・・・デス。
(言ったこと覚えてます 笑)
母もそうですが、気難しい父も「そんな事しなくていい」とは言いませんでしたね・・・。
あれから42年が経ち、
黄色いクリームの正体もわかり、あの時の母の年齢より自分の歳がはるかに上回りました。
あの頃、よくそんな事ができたな・・・感心してしまいます。
友達と、こんな話をすると「お誕生日会なんてやった事ない」と言う人けっこういます。
母の苦労のおかげで私には「かわいい思い出」があります。
2017年6月14日
今日は、そんな「母と黄色いクリーム」に「よく頑張ったで賞」を送りたいと思います。
明日も全力。
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