(「お暮らし」)
・・・と、父は言っていました。
明治生まれの人は一度決めた事は最後まで貫き通すらしいです。
(確実にそうでない人もいると思いますが・・・笑)
娘である私の目から見て、よそのお家の「お父さん」と比べると私の父は気難しい・・・。
「千里の道も一歩から」とか「親父の説教と冷酒(ひやざけ)は後から効いてくる」など
そんな浪花節みたいなコトを聞かされながら私は育ちました。
父は本を読むのが好きな人でした。
明治生まれの「松下幸之助さん」や「本田宗一郎さん」の事を
友達の話でもするかのように話してくれました。(笑)
父は「読書好き」な上に「話好き」・・・色んな話をよく聞かされました。
そんなある日、父に聞いた事がありました。
私 「お父さんは私が生まれた時、こんな子になってほしいとか、あった?」
父 「そんなのは、ない。ただ何か目標を見つけて、それをやりだした時に
邪魔しちゃいけないな、とは思った。・・・爺さんも、なんだかんだ言いながら
俺に好きな事をやらせてくれたからね」
確かに、しちめんどくさい父でしたが私の邪魔は一度としてしませんでした。
私が専門学校に進学する時も、
「何をやっても良いけど、途中でやめない事・・・」と、だけ言われました。
あの時、父はどんな気持ちだったんだろう?と思います。
本人が言うトコロの「パタンナー」とやらになれずとも、
一応、洋裁学校は卒業してスカートの一枚も縫えるようになれば良しとするか・・・。
そんなところだったかもしれませんね(笑)
よもや嫁にも行かず、ガッツリ新車を買うぐらいの勢いで機械(CAD)を買い
フリーで仕事する・・・なんてコトは想像していなかったと思います。
もちろん私も・・・。(笑)
私が会社を辞めてフリーで仕事をする・・・と、言った時も父は反対しませんでした。
東京で母と二人、商売(クリーニング店)をやっていた経験もあり、
父は「そういう事したいなら、お前のファンを作らないといけない」と言われました。
まったくもって、その通り・・・やはり、父はいろんな事に気がついていましたね。
贅沢三昧の生活など夢のまた夢のような家庭でしたが、
振り返って見ると、お金では買えない「生きがい」を持てたのは
父のおかげだと思っています。
これからも父からもらった「大きなプレゼント」を大切にします。
明日も全力。
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